東京新聞の社説がよいです。
ここ数日の東京新聞の社説がいいです。ナベツネ新聞(読売新聞)の社説は、偏った考えを読み手に植え付けようとする、青少年の健全な育成に有害な記事ですが、東京新聞の社説はしっかりした内容ととてもわかりやすく記述しているので、大人から子供まで安心しておすすめすることができます。
民の力を活かそう お任せ体質さようなら(1月3日付・東京新聞社説)
未曽有の原発事故は住民の意識を変えつつあります。他人任せの体質を反省し、自分たち草の根の力で世の中を動かす。そんな強い気概が伝わります。
昨年五月、東京都江東区の石川あや子さん(34)の耳に空間放射線量が比較的高いホットスポットという言葉が聞こえてきました。娘三人を抱える母親です。
不安を覚えて区役所に問い合わせても、担当者は「心配しすぎです」の一点張り。園庭を調べようと幼稚園長に頼んでも、教育委員会や理事会への体面からか応じてくれなかったといいます。◆手作り民主主義の実践
「子どもを守るべき立場の人たちが実は最大の敵でした」。そう気づいた石川さんは同じ不安を抱える母親たちに呼び掛け、子どもの被曝(ひばく)を防ごうと動きます。
専門家を招いて勉強し、区内を調べて歩きました。都や区に放射能汚染の実態を示して対応を求め、記者会見で公表しました。すると、やり方に不満は残るけれども、区は学校や公園などの線量測定に重い腰を上げたのです。
低線量被曝の問題には、行政や議会の危機意識はおしなべて低いようです。すべてを任せきってきた住民の無関心にも責任があると、石川さんは考えています。
「国や自治体を突き上げるのではなく、自分たちで情報収集して公表し、みんなに判断してもらう。それが賢明でしょう」。お任せではなく、手作りの民主主義とでも呼べそうです。
今や関心事は食品の放射能汚染です。給食と同じ献立の弁当を作って子どもに与える親もいますが、自治体や学校によって給食への対応はまちまち。弁当の持ち込みに加え、食材の産地公表や放射線検査に前向きなところと、冷ややかなところに割れています。
◆草の根の声に耳澄ませ
背景には教育現場の画一主義が浮かびます。他の子と違うといじめに遭う。配膳も後片付けも平等に。食品の風評被害をあおる。トラブルを避けたくて教委や校長の腰が引けるのでしょうか。
とはいえ国の規制は甘いし、検査態勢は不十分です。ならば住民自らが調べられるようにと、ボランティアが手掛ける食品の放射線測定所が誕生しています。先月には国分寺市にもできました。
設置に尽力した豊島区の伊藤恵美子さん(48)は「産地や測定値は、住民が食品を選ぶよりどころとなる大切な情報です」と言います。風評被害よりも、子どもの被曝回避が優先されて当然です。
江東区や豊島区は母親たちとの意見交換会をしています。低線量被曝の影響が曖昧だからこそ国や自治体は住民の声に謙虚に耳を傾けてほしい。「個人の判断を尊重し、行政コストは東京電力に請求するのが筋です」と法政大の杉田敦教授(政治理論)は言います。
右往左往する母親たちの不安と焦燥を尻目に、野田佳彦首相は原発事故の「収束」を宣言しました。放射能の放出は続き、食品の安全確保も、環境の除染も、廃炉も先行き不透明なのにです。
一方で定期検査中の原発の再稼働や、トルコやベトナムなど海外への輸出には前のめりです。「収束」宣言はそのための方便にすぎないでしょう。脱原発依存の方針は風前のともしびの様相です。
もはや危なっかしい原発を止めるのか、動かすのか、住民一人ひとりが態度をはっきり示すべき時期が来ました。東京都と大阪市で署名集めが進められている住民投票の実現運動には賛成です。
事故のすさまじさを見れば、今までのように原発の将来を国と電力会社、立地先の自治体のみに委ねるのは非人道的とさえ言えます。その過程にはみんなの意思が反映されて当たり前です。
東京も大阪も、福島や新潟、福井に造られた原発のおかげで発展してきました。都市と地方の構造的な“リスク格差”を容認してきた責任があります。
しかも、東京都は東京電力の、大阪市は関西電力の大株主です。利益ばかりを追い求め、巨大リスクを見張ってこなかったとの批判もあります。
事故を風化させないためにも反省や批判を踏まえ、自治体としての立場を鮮明にしたい。国民投票の機運が高まればドイツやイタリアのように日本の立場を決める好機が芽生えるに違いありません。◆“企業住民”の意思は
カタログハウスや城南信用金庫、ソフトバンクのように脱原発を打ち出す企業もあります。
カタログハウスの斎藤駿相談役は「企業も一つの人格です。社会的責任として脱原発か、要原発か、分からないのか、きちんと意思表示すべきです」と訴えます。
敗戦直後のような転換期には企業も他人任せを返上すべきです。
なぜか日本人には、とかく市民運動に対して、「アカ」とか「サヨク」とか「プロ市民」とか言って、胡散臭いものだと決めつける習性があり、そうした習性が政治への無関心を助長し、悪魔の原発推進派が調子に乗って安全対策をないがしろにしたことを見過ごした原因のひとつと言えるのかもしれません。これからは、我々が自ら何らかの行動をして、意思表示することが重要な時代に突入しているのかもしれません。
民の力を活かそう 欧州危機の教訓に学べ(1月4日付・東京新聞社説)
消費税引き上げをめぐる議論が本格化しています。日本の財政が危機的状況だとしても、増税だけが解ではありません。欧州危機から何を学ぶのか。
野田佳彦首相は消費税引き上げに執念を燃やしてきました。昨年の民主党代表選では候補者の中でただ一人、増税方針を明言し、首相になってからも「逃げない」姿勢を繰り返し強調しています。
首相をはじめとする推進派はしばしば、増税の必要性を訴える論拠の一つに欧州危機を挙げてきました。「巨額の財政赤字を放置すれば、やがて日本もギリシャのようになる」という話です。◆「官僚天国」に切り込む
欧州危機は二〇〇九年秋、政権交代を機にギリシャ政府が隠してきた巨額債務の実態が表面化したのが発端でした。それがイタリアやスペインにも飛び火し、いまや世界経済を脅かす最大の懸念材料になっています。
危機が表面化した後、ギリシャが真っ先にメスを入れたのは、公務員の人数と給料です。ギリシャは労働者の四人に一人が公務員といわれ、年齢などを考慮すると、民間に比べて三割も給与が高い「官僚天国」でした。
そこで公務員の総人件費を大胆にカットする方針を打ち出します。日本の独立行政法人に相当する各種公的機関の閉鎖、縮小、統合にも取り組みました。それから医療と年金の改革です。年金受給開始年齢を六十五歳に引き上げ、支給額も減らしました。
歳入増にも取り組みます。
脱税や申告漏れに目を光らせる徴税強化と所得の課税最低限引き下げ、さらに所得税の各種控除を廃止しました。控除をなくすと、それまで課税されなかった部分にも課税されるようになる。課税ベースの拡大です。◆「霞が関問題」が根底に
日本の消費税に当たる付加価値税も引き上げられました。ただし、それは全体のパッケージの一つだったのです。イタリアでは税優遇措置の削減や公的資産売却、フランスも六十二歳への定年引き上げなどを決めました。 これを日本にあてはめると、どうなるか。民主党政権は〇九年総選挙で国家公務員総人件費の二割削減を公約に掲げました。ところが、実際は引き下げどころか昨冬ボーナスが増額されてしまう。
独法は改革が長年、叫ばれながら目先の形を変えて、しぶとく生き残っています。
昨年末、本紙は原子力安全基盤機構が原発関連の公益法人やメーカーなどに安全研究事業の大部分を丸投げしていた件を報じました。こうした丸投げ・中抜き構造は霞が関の得意技です。それは必ずといっていいほど、官僚の天下りとセットになっています。中抜きと天下りで毎年、巨額の税金が無駄に使われているのです。
社会保障充実のために増税するというなら本来、もう一つの財源である保険料の引き上げも選択肢になるはずです。ところが厚生年金保険料の上限引き上げや外来患者の窓口負担百円上乗せは見送られました。
課税・徴収ベースの拡大は、ほとんど手付かずの状態です。クロヨンとかトーゴーサンと呼ばれる業種による所得捕捉率の不公平問題が解消しない。社会保険料も納めるべきなのに納めていない事業所が多数あるといわれます。
社会保障と税を一体化した共通番号制度を導入する。あるいは日本年金機構と国税庁を一体化して歳入庁を創設する。そうした施策によって、とりこぼしてきた税や保険料の収入を増やせる可能性があります。
つまり税率アップだけが財政赤字の解決策ではない。その前にまず政府自身が行政の仕組みや制度を手直しすれば、税収が上がる余地が残っているのです。それを後回し・先送りするのはなぜか。
それが「霞が関問題」なのです。官僚はけっして独法改革に本気で取り組もうとはしません。それは天下りの受け皿だから。国税庁と日本年金機構の一体化は論外と考えます。前者は財務省、後者は厚生労働省の「縄張り」そのものだから。まして公務員総人件費の削減などとんでもない。
それで「政治主導」が叫ばれたはずなのに、残念ながら期待外れに終わっています。◆増税スパイラルの懸念
ギリシャの教訓は何か。「改革をサボっていると危機に陥る」。改革抜きに増税のみに頼って財政再建しようとすれば、官僚機構は膨張する一方でしょう。自己増殖する動機があるからです。
そうなれば増税が増税を呼ぶ「負担のスパイラル」が始まってしまいます。すでに政権内からは消費税を10%どころか「15%に」という声も出てきました。とんでもない話です。ことしこそ「大変革の年」にしなければ。
国の借金がとんでもないことになっていて、日本もギリシャみたいになるのではと最近はテレビでよくやっていますが、今後、財政問題について我々がどう取り組むべきか、上の文章は我々が考えるヒントを与えてくれていると思います。
民の力を活かそう 政治を諦めない(1月5日付・東京新聞社説)
消費税率引き上げはマニフェスト違反ですが、批判ばかりでは実りはありません。政策を正すには民(たみ)が政治を諦めず、政治家に思いを伝え続けなければ。
二〇一二年の日本政治は、野田佳彦首相の四日の記者会見で幕を開けました。
消費税率を段階的に引き上げ、一五年に10%とする「社会保障と税の一体改革大綱」の素案なるものが年末に決まり、首相会見も、その実現への決意を語るものでした。「この問題は、どの政権でも先送りできないテーマです。誠心誠意(野党側に協議を)呼び掛けていきたい」と。◆大義なき消費増税
そして、第二次世界大戦時にチャーチル英首相が語ったという言葉を引き合いに出して「Never, never, never, never give up。大義のあることを諦めず、しっかり伝えるなら、局面は変わると確信しています」とも強調しました。これらの言葉からは、消費税率引き上げに懸ける首相の並々ならぬ決意が伝わってきます。
でも、ちょっと待ってほしい。消費税増税はいつの間に民主党政権の大義と化したのでしょうか。
歴史的な政権交代を果たした〇九年衆院選で民主党が掲げたマニフェストのどこにも、そんなことは書かれていません。民主党政権の四年間に消費税を引き上げることはないとも約束していました。
一体改革の素案を決める段階では当初、一三年十月に8%に引き上げる党執行部案が提示され、最終的には半年先送りを決めました。
一三年十月からの引き上げだと現在の衆院議員任期中に実施を閣議決定することになり、公約違反になるからだそうですが、そんなことはまやかしにすぎません。消費税率を引き上げるのなら堂々と「税率引き上げを検討する」とマニフェストに書くべきでした。◆ムダの一掃が先決
首相に政権の大義と感じてほしいのは、むしろ行政の無駄をなくすことの方です。野田首相だけでなく、歴代の民主党政権はマニフェストで約束した「税金のムダづかい」一掃にどこまで死力を尽くしたというのでしょうか。
営々と積み上げられてきた政官財の既得権益を打ち破るのは困難な作業だと、国民は理解しています。しかし、それをやると言ったからこそ、民主党に政権を託したのではないでしょうか。
自分たちの力量不足のツケを、消費税増税という形で国民に押し付けられてはたまりません。
少子高齢化社会の本格的な到来に伴う社会保障費の増大や危機的な財政状況を改善するためには、いずれ消費税率の引き上げは避けられないと、国民の多くは理解しています。
しかし、穴の開いたバケツにいくら水を注ぎ込んでも水がたまらないように、無駄遣いが残る行政機構にいくら税金をつぎ込んでも財政状況はよくならず、国民経済は疲弊するばかりです。
首相がまず力を注ぐべきは、増税ではなく、国会や政府が身を削ることです。その順番が違うことに、国民は怒りを感じるのです。
自民党や公明党による政権攻撃は野党の役目柄、仕方がないとしても、国会が不毛な対立ばかり繰り返しては国民の不信を買うのも当然です。ここは、行政の無駄を削るという与党の試みに協力してはどうか。困難な仕事にこそ与野党が力を合わせるべきです。
民主党は消費税増税に当たり、衆院議員定数の八〇削減や国家公務員給与の削減などを前提条件にしました。国会や政府の無駄を削ろうとする意欲の表れとして評価できますが、注文もあります。
定数は比例代表からの削減を避けてほしい。比例削減は少数政党切り捨てにつながるからです。
議員一人当たりの経費は年間一億円程度で、八〇削っても八十億円の削減にしかなりません。むしろ年間約三百二十億円に上る政党交付金の方を削減したらどうか。
一〇年分の収入に占める政党交付金の割合は民主党は八割超、自民党も七割近くです。もはや国営政党の状況で、国のお金で成り立っている点で官僚と同じです。
政治家と官僚は対立しているように見えて実は一蓮托生(いちれんたくしょう)です。この状況を脱しない限り、行政の無駄に果敢には切り込めません。◆成立前に信を問え
首相は会見で衆院解散の時期には触れませんでしたが、消費税増税法案の成立後、実施前に解散する腹づもりなのでしょう。しかし、それは姑息(こそく)です。増税確定前に国民の信を問うのは当然です。
政権交代への期待が高かった分、失望も大きい。だからといって政治を諦めてはなりません。民が無関心を決め込んだ瞬間、政治家と官僚の暴走は始まります。根比べの今が正念場なのです。
多くの国民との約束を果たせなかった民主党政権は年内は持たないのではないかと言われています。次に選挙やる場合は、今度こそ我々は騙されずに、原発推進だの、行政改革を棚に上げて増税をいう政治家をガンガン落とす必要がありそうです。
ということで、「民の力を活かそう」と、連日東京新聞は、国民目線の社説記事を書いてくれています。これと比べると、ナベツネ新聞(読売新聞)の社説は明らかに国民の目線からは遠くはなれた立ち位置で書かれていて、一体誰のための新聞なのかとても疑問です。もしかしたら、書き手すら、誰のための文章か見失って、社説を書いているのかもしれませんね。
原発の代替エネルギーの本命はガスタービンコンバインドサイクル発電
「ダッ!ダッ!脱・原発の歌/制服向上委員会」(初披露時の映像)
※僕のブログでは、本来趣味の内容を取り上げることにしているのですが、福島第1原発事故についての政府やマスコミの対応があまりにひどいこと、また、自分があまりに原発の問題に無関心だったことを恥じているので、僕のブログでも、微力ながら、自分の知りえた情報を伝える記事をできるだけ書くようにすることにしました。原発関連の記事のみを見る場合は、右にある「カテゴリー」の「原発事故」をクリックすると、記事をまとめて見れるので便利だと思います。
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