« 4月1日の写真 内山薫ちゃん その45 | トップページ | 6月4日の写真 佐々木みゆうちゃん その14 »

2012年8月20日 (月)

読売新聞と東京新聞 社説比較

読売新聞の稚拙な社説が止まりません、またか、と思われるかもしれませんが、改心するまで、しつこく、読売新聞の恥を晒していきたいと思います。

原発ゼロ発言 無責任な楽観論を振りまくな(8月20日付・読売社説)

 成長戦略として原子力発電所の輸出を推進する担当閣僚が自ら、早期の「原発ゼロ」を主張するのは、あまりに無責任と言えよう。
 枝野経済産業相が、日本メーカーによる原発建設が内定しているベトナムを訪れ、原発の新規導入に必要な制度作りなどに協力することで合意した。
 枝野氏は記者団に、日本は原子力の安全技術で国際貢献する責任がある、などと強調した。
 ところが、ベトナム訪問前には、日本の原発比率を「できるだけ早くゼロにした方がいいと思う」と発言していた。原発を他国には売るが、自国は早くゼロにするというのだろうか。これでは国際的な信用は得られまい。 日本が脱原発を決めれば原子力の技術者は育たず、ベトナムなどへの安全面の貢献も続かない。枝野氏は矛盾だらけの「原発ゼロ発言」を撤回すべきである。
 政府は2030年の原発比率について「0%」「15%」「20~25%」という三つの選択肢を示している。このうち、「0%」が最も非現実的なのは明らかだ。
 政府の試算によると、国内総生産が約50兆円減少するなど、日本経済への打撃は甚大だ。
 民間の見通しも厳しい。経団連は、失業者が200万人も増えると警告している。電力多消費産業の鉄鋼業界は、電気料金が最大で約2倍に上がることから、「廃業勧告に等しい」と訴えた。
 野田首相は「0%」とした場合の課題やその克服策の検討を関係閣僚に指示している。原発ゼロを正当化する“理論武装”が狙いとすれば、看過できない。
 懸念されるのは、経済界の悲痛な声をよそに、原発ゼロでも何とかなるとする安易な考えが、政権内に出ていることである。
 特に、電力安定供給と産業振興に責任を負う枝野氏が、楽観論を振りまいているのは問題だ。
 枝野氏は「0%」を実現可能な選択肢としたうえで、「やり方を間違えなければ、むしろ経済にプラスだと思う」などと述べた。原発の代わりに再生可能エネルギーを導入すれば、内需拡大につながるはず、というのだ。 現実はそれほど甘くはない。再生エネで先行したドイツでは電気料金の上昇で家計負担が急増し、太陽光パネルのメーカーが安い中国製に押されて倒産するなど、悪影響が顕在化している。
 国の浮沈にかかわるエネルギー戦略を、不確実な期待を根拠に決めるのは、極めて危険である。
(2012年8月20日01時32分  読売新聞)

社説の主張している内容以前に、例によって、文章表現自体ダメダメで、読売新聞の記者の国語力の低さに唖然としてしまいます。一番まずいのは、この社説の一番大事な「原発ゼロが非現実的であることの根拠」が、「政府が、経団連が言っているから・・・」とまるで、子供が「○○君が言ってたから・・・」というのと同じレベルな、全く説得力のない内容になっていることです。人の言っていることを鵜呑みにせず、しっかり検証して、記事を書く事は、マスコミの最低限の仕事なのではないでしょうか。まあ、原発推進などと、もはやかなり無理のある主張をしようとするから、文章が破綻してしまうということもあるのでしょうが、この社説を書いた記者さんや、文章のチェックをした上司の人は、小学生レベルから国語の勉強をやり直した方がいいと思います。

それに対して、似たような内容を扱っている東京新聞の社説はしっかりした文章になっています。

夏の節電 見据えよう「原発ゼロ」(8月20日付・東京社説)

 東京電力の原発事故から二度目の夏。節電が定着し、ピーク需要が事故以前に比べ一千万キロワットも下がっている。関西電力以外の原発はすべて止まったままだ。原発ゼロ社会を見据える好機としたい。
 事故の前年、二〇一〇年夏の東電のピークは五千九百九十九万キロワットに達した。今夏は七月二十七日の五千三十八万キロワットが最大で、五千万キロワットを超えたのはこの一日だけだ。それ以外は猛暑日でも四千九百万キロワット前後と、供給能力の八~九割に収まっている。
 電力消費は企業活動が本格化する九月に向かって増える傾向にあり、楽観は禁物だが、昨夏から続く一千万キロワット規模の節電は揺らいでいない。工場や商店、家庭を問わず、エアコン、冷蔵庫の設定温度を調整して冷やしすぎに気をつける。こまめに消灯する。地道な省エネの積み重ねが、原発十基分にも相当する節電を支えている。
 東電の供給地域は首都圏を中心に一都八県。事故直後には計画停電が実施された。放射性物質が飛び散り、除染作業を強いられた地域も少なくない。こうした体験が節電文化を育んだというべきだ。
 現在、日本の原発は再稼働した関電の大飯原発を除き、すべて止まっている。管内にトヨタ自動車を抱える中部電力は、需要に対する供給余力を示す予備率が一時7%前後にまで下がったが、なお余裕を残している。原発ゼロ社会に等しい今の日本の姿であり、原発に頼らない社会に向けた実験の真っただ中にあるようにさえ映る。 経済界は危機感を募らせているのだろう。経団連の米倉弘昌会長は、三〇年の原発依存度として政府が示した「0%」「15%」「20~25%」の選択肢を牽制(けんせい)した。依存度を下げれば代替する天然ガスなどの調達費がかさんで電気料金が高くなり、企業の海外進出、雇用悪化を招くとの批判だ。
 コストばかりに目を奪われる経営者の域を出ていない。高放射線量によって十六万人もの福島県民が故郷を追われた「人間の被害」の視点も抜け落ちている。燃料が高いのなら、電力業界や商社とともに中東、マレーシアなどよりも三~四割安い米国産シェールガスの輸入を実現する。それをリードするのが経団連の役割だ。

 今、求められるのは長崎市長が訴えた「放射能に脅かされない社会」ではないのか。限りなく原発ゼロの今を直視しながら、国民一人一人がエネルギーの将来をじっくり考える。残りの夏をその機会に充ててみてはどうだろう。

文章の「ピーク需要が事故以前に比べ一千万キロワットも下がっている」という事実について、ちゃんと根拠のデータを示していて、またさらに「9月に向けて油断は禁物だが」と、突っ込まれそうな内容についてもフォローしています。ここまで書いて、ようやく説得力のある文章になるという、いいお手本になるんじゃないかと思います。また、悪の枢軸である経団連に対して、ここまで明確な批判文書を僕はあまり見たことがなかったので、よくぞ書いてくれましたと思います。

しかし、読売新聞はこう、何度も何度も悪い文章の見本となる社説を書いて、恥ずかしくないのでしょうか?僕は何度も書いてますが、読売新聞ほどの大きな組織であれば、まともな人も数多く存在するはずなので、ぜひとも自浄努力をお願いしたいです。

最後にこれらの記事に関して、ついついリツイートしてしまいたくなった、ツイッターでのナイスな意見を紹介します。

ダッ!ダッ!脱・原発の歌/制服向上委員会【PV】

絶対原子力戦隊スイシンジャー

国と大手マスコミによる悪質な安全デマ

原発の代替エネルギーの本命はガスタービンコンバインドサイクル発電

「ダッ!ダッ!脱・原発の歌/制服向上委員会」(初披露時の映像)

原子力村 - Wikipedia

原発関連御用学者リスト

原発関連御用学者リスト(医学関係)

※僕のブログでは、本来趣味の内容を取り上げることにしているのですが、福島第1原発事故についての政府やマスコミの対応があまりにひどいこと、また、自分があまりに原発の問題に無関心だったことを恥じているので、僕のブログでも、微力ながら、自分の知りえた情報を伝える記事をできるだけ書くようにすることにしました。原発関連の記事のみを見る場合は、右にある「カテゴリー」の「原発事故」をクリックすると、記事をまとめて見れるので便利だと思います。

« 4月1日の写真 内山薫ちゃん その45 | トップページ | 6月4日の写真 佐々木みゆうちゃん その14 »

原発事故」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 読売新聞と東京新聞 社説比較:

« 4月1日の写真 内山薫ちゃん その45 | トップページ | 6月4日の写真 佐々木みゆうちゃん その14 »

2021年10月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

オススメ商品

無料ブログはココログ